2019年12月24日

中村哲さんを偲んで

ペシャワール会現地代表の中村哲さんが、アフガニスタンで銃撃されて亡くなった日、12月4日は私の誕生日でした。

私は約30年前、ペシャワール会の講演会に行き、なんとすばらしい事をされてる医師かと感銘を受け、いつか会に入ってお手伝いしたい、とずっと考えていました。
その後の講演会やテレビで、哲さんの誰も真似できない取組みを知り、ますます入会を考えてはいたのですが、後押しする何かもなくそのままずるずる時だけは流れて・・・。

せめて12月11日、福岡市内の斎場で営まれた葬儀には参列したく行ってきました!

テレビ各局もたくさん来ていて、哲さんの偉大さを改めて知ることに。

出棺だけ見送るつもりで行ったので、私はなんと喪服ではなく、ただ黒っぽい服を着てきただけ。
でも、そんな人も数人受付を済ませ中に入って行くのを見て、私も「えい、入っちゃえ」と勢いで受付して中に。
中は満席だったので、ずっと入口付近で立っていましたが、最後遺影の前で哲さんにお別れが言えて、そして献花台に献花もできて幸せな瞬間でした。



中村先生・・・あなたは1984年5月にペシャワール・ミッション病院に赴任されました。
その後ミッション病院を出て、数々の病院を創られました。
2000年以降は大干ばつで、先生が井戸を掘ると言い出された時も戸惑いましたが、農業用水路を造ると言われた時には、そんなことが出来るのかと、不安が募りました。
先生は、それが人々の命を救うために必要、と黙々と実践していかれました。
そして結果として1600本の井戸を掘り、16500ヘクタールの大地を緑に甦らせました。
でも先生は、そんな大きな仕事を成し遂げながら、おしゃることはとても平易なことで
「人の幸せとは、3度のご飯が食べれて家族が一緒に穏やかに暮らせること」だと。
                          

                           ペシャワール会 会長 村上優さんの追悼の辞より抜粋



哲さんは「100の診療所より1本の井戸」と言い続けて、土木は全くの素人なのに壮大なプロジェクトをやってのけたのです。
アフガニスタンの人々から愛された哲さん・・・哲さんもアフガニスタンが大好きでした。
なのになぜ、その地で殺されなければいけなかったのか、悔しくて悔しくたまりません。


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殺される約2ヶ月前にアフガン市民証をいただき、式典は終始和やかな雰囲気で行われた。


哲さん、どうぞ安らかにお眠りください。

posted by ベジバード at 19:28| Comment(0) | その他日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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